TOEFLアライアンス - 世界で戦える日本人を創る --- 伊藤 ひろたか
アゴラの一般投稿を読んで色々考えた。
特に下記引用部分が気になる
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僕は常に日本の英語教育に疑問を持っていた。僕自身は日本ではほとんど教育を受けていない。海外で育ったため英語は問題ないが、むしろ日本語を頑張って勉強した。日本の学校では普通中学から皆英語を勉強するのに、海外で会う日本人はほぼ片言にも通用しない英語レベルである。外資の金融機関ならましかと言えばそんなことはない。ひどいものだった。
しかしだ。語学と言うのは例えば英語と言う公約数を使ってコミュニケーションをとるための物が一つ、そして文法やら発音を研究するのも一つ。グローバルなビジネスでひつようなのは前者だろう。
例を挙げると、僕が個人的に好意を持っているドイツ人のおじさんがいる。彼は優秀なエンジニアだが英語はお世辞にもうまいとは言えない。香港に長いこといるのでドイツ訛に香港訛も加えられ強烈な物になっている。例えば「これは辛すぎる」なんて「spicy spicy」と連呼して強調するし、普段の会話も名詞と動詞をはっきり言って羅列しているだけである。でもこのシンプルな単語の羅列でも彼の言いたいことははっきり分かる。この方は香港で起業しいまでは上場企業の創業者であり会長で、アメリカの政治家たちへの助言もするような方である。
正しい文法やルールにとらわれない、コミュニケーションの基本を考える外国語の教え方を採用できないものだろうか。
あまりにも「正しい」ことを求めるばかりに教育を受けた人間は英語を話そうとしない。それは間違っていると恥ずかしいからだ。社会に出てグローバルなビジネスシーンで下手な発音より恥ずかしいのは意見を言わないこと。意見の無いやつ=考えていないやつと言うのがアングロサクソンの考え。多かれ少なかれ中国もそうだ。
恥ずかしいのは場慣れしていない可能性もある。このあたりで僕はサービスを提供したいという若者となにかできないか模索している。今アイデアを練っている。これは社会貢献としてもやりたい。
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